僕がモノづくりが好きな理由。

陶器 日々の日記

昨夜は学校の非常勤講師としてお越しいただいている工藤省治先生と学生たちと夕食を食べました。

工藤先生は愛媛県にある焼き物の産地『砥部焼』で活躍しておられる陶芸家です。

モノづくりの非常勤の先生とご飯を食べる機会があると僕は必ず聞くことがあります「何故この道に進まれたのですか?」

質問の意図は



1:「モノづくりしてても食っていけないよ!」という方が沢山いる中、実際その道で食べている人は沢山いる。「モノづくりで食べていくには難しいな」と思っている学生もいる。その中でも食べていく方法があるのではないか?というのを知ってほしい、考えてほしいから、僕も知りたいから。

2:僕が出会ったモノづくりをしている方達は大なり小なり何かに反発してその道を続けておられる方ばかり。何故何に反発しているのか話を聞くことで「あっ!こういう考え方も出来るのか!」と自分の中のモノづくりへの発想が変わるから。

3:話をされている時の眼差しや表情を見ていて「好き」が伝わってきてワクワクするから。

意図が失礼でしたらごめんなさい。でも、モノづくりしている方の話している時の表情や、楽しそうに話して頂いているときの目付きが凄く素敵で力強くて、それを見ていると自分もやってやらなダメだ!という気になるんです。



工藤先生のお話をしていて印象に残った言葉があります。そしてそれが僕がモノづくりをする理由・意味になっているのではと気づかせてもらいました。

「今の時代安くて食器なんか揃えられる、100均へ行けば5000円もあれば夫婦2人分の食器を揃えることが出来るだろう。日本の技術を外国に持ち出し、教え、やはり外国では日本の様な繊細な仕事は出来なかったと言って撤退し来る陶器企業、でも外国に持ちだした技術を外国人は習得していて量産化出来る体制を独自に作り上げ、安価で量産し、日本に輸出している。そして日本の消費者は安いから買っている。これでは自分の首を自分で締めているのと同じだ」

「砥部焼を機械で大量生産しないのは人も育たなければ、砥部焼が衰退する」

物凄く同感です。

僕は100均が嫌いです。100均嫌いであまり行かないという話をすると「何で?安いし、モノが沢山あっていいよー」とよく言われます。

僕にとっての100均とは「安いけどストーリーがないし、冷たく感じる。モノは沢山あるけど全部同じで誰が使ってても無難に使えてみんな持っていて面白くないもの」が置いてある場所です。

僕が好きなモノは

1:機械生産がされていないもの

2:ストーリーがあるもの

3:誰も持っていなさそうなもの

4:作り手の愛情がこもっているもの



何がどの様にしてどういう気持で作られているかを知るのが凄く好きで僕自身、陶芸してみたり、金工してみたりしています。

最初は『モノが完成していくさまがオモシロイ」とだけ思い作っていました。けど今回の話を聞いてその根底にあるのは上に書いた『100均が嫌いな理由』と『僕の好きなもの』があるのだと気付かされました。

お金がないので作家さんの作品を買うのは中々難しいので自分でモノを作り自分で使って楽しんでいます。自称『贅沢』です。某CMじゃないですけど「お金で買えない価値がある」

お金が沢山あれば色々なことが出来て色々なものが買える、でも僕の中では『お金が沢山ある=幸せ・裕福』には絶対ならない。そうなりかけている日本人の心があるとたまに感じる。「お金で買えない価値がある」をそれぞれが解釈し、心が楽しめ、心が裕福になる生活をしていけばおのずと『日本の景気はよくなり、本当のゆとりがくる』とも思い『日本がデフレなのは自分のせいだ!』と感じ始めました。

先週作った陶器です↓

陶器

16個ロクロでの作りましたが削りで失敗し、薪窯に入れれるのは10個。この陶器をもし上げる機会があるのであれば、削りに失敗したこと、薪窯での焼成の様子を絶対に話す。そして『モノづくり』は大変だけど面白いな!と感じてもらいたい。

モノづくりを通して日本経済まで考えてみたり・・・ それほど『モノづくり』というのは強烈なパワーを持っているのでしょうね。

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